2016年7月アーカイブ

最高のお守り

三年前の二月、五年前の兄に引き続き、親子の二人三脚は始まりました。名進研でお世話になるのは二回目でしたが、五年の間に名進研は見事に進化していて驚きました。夜遅くまでの名進研自習室の解放、名進研チューター制度の充実など、名進研生の子どもたちにとって大変ありがたいことばかりでした。

しかしながら中学受験の学習内容は高度化し、ボリュームもかなり増えていました。正直ここまでやらなければいけないのかと親子で落ち込むこともしばしばでした。

学習が進むにつれ、名進研の先生の的確な指導、適切な助言のおかげで毎週やっとのことで単元を終了する日々が続き、あっという間に名進研で六年生の後期がやってきました。振り返ってみると名進研で教えていただいたことは、知識のみならず自学自習の習慣であることが分かり、それが確立すれば入学する学校は結果論であることも理解できました。

六年生の十月頃からは自分で勉強、先生に質問も出来るようになり、幾分あせりの解消に繋がったと思っています。さらに嬉しかったことは、最後の日曜日の名進研ゼミでTNクラスの一位をとり、一位の名進研カードと名進研ピンバッジをいただいたことです。入学試験本番の日にはこれを最高のお守りとして胸のポケットに入れて臨み、みごと第一志望の滝中学校に合格することが出来ました。ここまでご指導いただいた名進研の先生方や、名進研のシステムにただただ感謝するばかりです。名進研の関係者の皆様、本当にありがとうございました。

迷いをのり越えて

長かった受験勉強が終わり、娘は新しい生活を始めています。

名進研には五年生からの入会だった為、他の生徒さん達についていくだけで必死でした。
何度も親子ゲンカをして、その度に「名進研をもうやめなさい」と怒鳴っていました。
元々根性があり、絶対あきらめないと信じていましたので、名進研での成績は順調に上がりました。

しかし学年が変わる時、油断(親のせいだと思います)を子どもにさせてしまい、名進研での成績が下がってしまいました。

本当に娘は受験した方がいいのか、公立で皆と仲良くさせた方がいいのかすごく迷ってしまい、その事で娘にはすごく動揺させてしまいました。
けれど名進研の先生方の支えでそれを乗り越え、無事に合格出来ました。

名進研の先生方にはいつも電話を頂いたり、励まして頂き本当に感謝しています。
先生方に会えなくなるのは少し寂しいですが機会があれば巣立った娘の姿を見せに行きたいと思っています。
名進研の関係者の皆様、本当に有難うございました。

受験生の保護者より

息子は名進研で勉強して第一志望の東海中学に合格することが出来ました。名進研にお礼申し上げます。
ここまで来るには決して平坦な道のりではありませんでした。そこで、来年度中学受験される名進研生のご保護者の方に参考になればとペンをとりました。

【受験校と結果】
入試日順に、海陽中等教育学校、名古屋中学校、東海中学校、滝中学校の四校で、結果は運よくすべて合格できました。息子本人は名古屋中学校の問題が難しかったと言っていました。

【名進研への入会】
名進研への入会は五年生からでした(五年生の時は一年間平行して公文教室で英語を習い始めました)。六年生からは名進研のみでした。

【第一志望校、学校説明会、迷い】
海陽中等教育学校(親子、夏休み体験入学一泊二日)、東海中学校(親子、オープンスクール・学園祭)、滝(親のみ、学校説明会)、名古屋中学校(親のみ、学校説明会)。名進研生の息子本人の第一志望校は一貫して東海中学校でした。名進研生の親の方は口では「東海中学校が万一の場合は公立がある。」と言いつつ、どの学校でも公立と比べ学習内容・設備環境が充実しており、また、大学進学実績も素晴らしく、東海中学校の下位より面倒見の良い学校の先頭の方がベターではとか、東海中学校は医者の息子さんが多いと耳にすれば親の出来が違うからとか、親の心の方が揺れる日々でした。息子には滝中学校・名古屋中学校の学校の様子も分からないまま受験させてしまいました(反省しています)。

【保護者会】
名進研プレ中学入試の日の保護者会には全て参加いたしました。とても参考になりました。「子どもたちは、名進研でたたかれ、本日のテストで神経を使い相当疲れています。今ぐらいは家での多少のわがままは許してやってください。」と名進研の先生。

【日曜日の名進研テストゼミ】
親は毎週のように実施されるテストゼミの結果を凄く気にしました。テストで黒星を取った時は、さらりと流してください。息子は一度結果を見せないことがありました。本人いわく「親を心配させたくなかった」。周りの受験生の方も一生懸命ですから、なかなかテストで白星は取れませんでした。

【学校行事】
キャンプ、土日の参観授業、運動会を優先し、名進研は休みました。東海中学校の入試の週も学校に行きました。学校は休みませんでした。

【マンガ】
時間を決めて読んだり、テレビを見ました。

【名進研の先生と信頼関係】
息子は、名進研のある教科の先生と何でも話が出来るようになり喜んで通っていました。時には、先生から自宅に励ましの電話も頂き、最後まで諦めずに勉強できました。

終わりになりますが、男の子は口数が少なく本心が良く分かりません。しかし、きっと精神的に辛い一年だったと思います。是非、受験生の味方になってあげてください(テスト結果が悪くてもガミガミ言わないでください)。

忍耐

字が汚くて他の人が見ても、理解不可能な字で何度注意したかわかりません。テストゼミ、名進研プレ中学入試でもあともう少しでJSに上がれたのに、と思うのは私だけで、本人は「これ本番じゃないから、どこかに合格できる」とヤル気のない態度で何度受験を辞めてしまおうかと思ったことか。

六年生の夏期講習時のお盆休み、各教科ごとに名進研から宿題が出ているのに、片付かぬまま夏休みは終わり、ダラダラ生活を見ていた私は、名進研を辞めなさいと教科書を取り上げ、先生に相談に伺いました。先生との話し合いで名進研は辞めたくない、宿題もしっかりするという約束を主人とし、続けることになりました。その後も、答えを見て宿題をしていたため、そのたびに、先生に相談し、怒って頂きました。名進研でなければ、受験も辞めていたと思います。

その後一月最後の保護者会で、受験一校目がもし合格頂けなかったとしても、「行ける学校は一校だから次頑張ればいい」と心構えも教えて頂きました。

一日目愛知中学校不合格、二日目愛知工業大学附属中学校は、合格を頂きましたが、本人に合格していた事を言うと、その後気が抜けてしまうタイプなので、すべてが終わるまで言わない方が良いと思い何も言わず、三日目名古屋中学校は合格点から二点足りず不合格。最後の名進研プレ中学入試で合格率80%でしたので、本人も相当ショックな様子でした。

所属校の先生から「校舎へ連れて来てください」と連絡があり、もしかしたら追加合格頂ける範囲ですのでと言って頂きました(その後追加合格電話ありました)。あまりにも落胆していましたので、先生が「何年か前にも、二校不合格のお子さんが第一志望の南山中学校男子部合格を頂いた方いましたので、後一週間頑張ってください」と励ましの言葉をかけて頂きました。校舎に行くと、先生から大丈夫ですと励まして頂き、先生の言葉が私の安定剤でした。本人は、南山中学校男子部受験日までに何をしたらいいか一週間分の目標を立てて、先生から課題をもらい毎朝5時に起床し、今まで見た事がないくらい目つきも変わり、頑張りました。

入試当日雪が降っていましたので、チャペルに集合し子どもたちだけで受験会場へと向かう際、子どもの顔を見たらいろいろな思いが込み上げて来ました。涙をためていた私の顔を見て、子どもも目が赤くなっていましたので、何も言わなくてもわかってくれたと思います。帰り道、できたと言っていましたが、よく聞くと国語の大問二を白紙で出したと言ってました。諦めていましたが結果、第一志望合格頂きました。

名進研の先生方本当にお世話になりました。

「やったあ!出来たよ。全科目完全にやりきった。もしかしたら、特待かも!」

第一志望の滝中学校の入試終了後、私に向けて発した第一声である。正直ほっとした。もちろん根拠のない特待という言葉ではなく、息子が力を出しきったという姿に安堵したのだ。中学受験は家族の受験と云われるが、受験生の父親として二人三脚で歩んできた三年間の日々が報われた気がした。まだ合格したわけでもないのに、受験会場を後にしたバスの中の息子と私は、とても晴れ晴れした気分だった。

結果は、第一志望の滝中学校を含め受験した五校全てから合格をいただき、ありがたいことに三校から特待合格まで頂いた。受験校は、息子の性格から男女共学・面倒見の良さをキーワードに決めた。息子には、「最初のほうで受験する学校に対して滑り止めなんていう失礼な気持ちは絶対に持つなよ。謙虚な気持ちが大切だからね。とにかくどこの学校でも各科目七十点をキープすれば、とりあえず合格だから。油断はしないだろうが、変な欲も禁物だよ。」とか「野球でたとえるなら、これから五試合のトーナメン卜戦にのぞむようなもの。五試合目の決勝戦が滝中学校の入試だと思って一試合一試合全力で勝ち上がろうぜ。」と言って激励した。

息子と父親の私は、部活動の後輩・先輩あるいは選手・コーチのような雰囲気で受験生活を過ごしてきた。勉強を教えたことはほとんどない(正直に言えば、算数は特に難しくて教えられなかった)。勉強は名進研の先生を信頼してお任せした。送り迎えは妻の担当で、その代わり土日の名進研実力テスト・名進研プレ中学入試・保護者会・中学校のオープンスクール等・実際の入試会場への付き添いもすべて私が担当した。だから、息子の五年間の各種名進研テストのデータや苦手分野・得意分野は当人より的確に把握していたつもりだ。各種名進研テストの結果で息子に対して叱責をしたり小言を言ったことはなく、六年生のテストゼミでクラスが俊秀から降格したときも「よくねばったね。二か月間も俊秀にいたのだから立派だよ。カード大切に保管しとけよ」と妙な励ましをしたり、努力したことがあればすぐに成果がでなくても息子を褒めてあげた。

六年生になり、児童会会長として学校で奮起しているのか、夜疲れて机で居眠りしている息子を見て可哀相にも思った。でも息子は受験生の傍ら、十二歳の子どもとして充実した小学校生活を懸命に過ごしていた。日頃の努力が認められたのか文化の日には、教育委員会から光栄な賞も授かった。「おめでとう。でもこれは授かったもの。今度は自分の手で合格を勝ち取ろう。」と気合いを入れ直し、ラスト九十日間頑張った。

小学校卒業を控えた名進研生の息子は、学校の友達との別れを惜しんでいた。友達からの卒業寄せ書きには、「滝中学校にいっても頑張れ」のエール。名進研の先生方、家族、学校のお友達や先生方、名進研の仲間たちのエールに支えられて無事スタートラインに立つことができた。

最後になりましたが、名進研で三年間熱心にご指導いただきました名進研の所属校の先生方に御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

正月特訓に参加して

年の暮れとはじまり―――
十二月三十一日・一月一日・一月二日の二泊三日に行われる名進研の正月特訓。

四階で受付を済ませ、私たち親は開講式の行われる大ホールヘ導かれ、子どもはどこかへ導かれてもう会えない。次に子どもの姿を見るのは、おそろいの名進研トレーナー姿で大ホールの前方に着席しているのを眺めるだけ。

子どもに配布された名進研トレーナーは綿100%のけっこう厚手のものでした。食事は、大ホールに丸テーブルが並べられ、ホールの入口で並んだ順に名進研生の人数ごとに区切られテーブルを指定される(自分で空いている席をさがさなくて良い)。列に並んだ順なので毎回違う名進研の人と食事をする。食事は残しても大丈夫。部屋はツインとシングルルーム。我が子は所属校の、名進研生のお友達と一緒。

お風呂、これが一番心配でした。熱湯風呂で大やけどをしたらどうしようかと。正月特訓前に我が子には、浴槽にお湯を入れる際、入浴する時は、飛び込まぬよう言い聞かせておいた(使い方の説明はなかった)。勉強の際は、三階・四階で、宿舎は七・八・十二階(他のフロアーもあるかも)エレベーター前で先生が指導して乗せてくれるので迷子になる子はいなかった。

携帯電話の使用は厳しく禁止される。

受験生のいない三日間は、他の兄弟と家族でのんびり正月を過ごすことができますので、是非参加してもらいましょう。

正月特訓で学習したプリントは、南山中学校女子部対策用として各教科まとめてあり、良問ばかりで何回もやり直し、とても役立ったようです。

名進研には四年生からお世話になり楽しそうに通っていました。つらかったのは、受験の三ヶ月前からです。急に時間が止まったように長く感じられました。インフルエンザやかぜをひかせないようにと外食を控えたため、食事作りが苦痛にかんじることもありました。

名進研生の娘は、苦手なところ、覚えていないところなど、気のすすまない学習に取り組まねばならないことでした。時間はあるが、はかどらない。ため息も多くなり見ていて気の毒に思いました。早く受験が終わってほしいと、母子で、あと何日と毎日数えていました。

無事すべての校に合格し、南山中学校女子部に進学します。

最後になりましたが、名進研でお世話になった名進研の先生方、本当にありがとうございました。

たかがミス、されどミス

私自身、子どもの中学受験は初めての経験だったので、一から十までわからないことばかりで始まった名進研での受験生活でした。今、受験生活を振り返り、受験で必要とされることは、実は日常生活で必要とされることとあまり変わらないのではないかと思っています。

まず必要なのは、精神面も含めた体調管理です。六年生にもなると、学校の授業時間、名進研の授業時間ともに長くなる上、学習量・学習内容ともに充実してくるため、その名進研と学校の両立にかなりの気力、体力が必要とされます。

次に、名進研でその日に学んだこと、やるべきことを、一つ一つ着実に身に着けていくことです。今日やらなくても、また今度やればいいという考え方は非常に危険です。一日にこなせる量には確かに個人差がありますが、自分のペースを見つけて、マラソンの様にこつこつとこなしていくことが大切です。

そして最終的に大きく合否に関わってくるのは、いかに自身の任務をミスなく正確になし遂げることができるかということです。名進研テストでの漢字の書き間違い、計算ミス、問題文の読み誤りなどは、自分自身では理解できている内容であることが多いため軽視されがちですが、実力が拮抗している中学受験においては致命傷になります。

以上が、特に強く感じていたことなのですが、後一つ追記すると、相手の気持ちを考え理解しようとすることも、とても大切なことだと感じます。一見、受験とは直接関係のない様に思われることですが、出題された著書の作者の気持ちを理解すること、出題者の意図をくみ取ること、名進研の先生の言葉の主旨を理解すること、名進研の友達の気持ちを思いやることなどは中学受験のみならず、今後の人生において少しずつ重みを増してくる重要なことだと思います。

この言葉は、国語の成績が今一つだった我が子について、名進研の先生が言ってくださったものです。

「○○○君は、ひとの気持ちがわかる子ですから、国語ができないなんてことはないと思いますよ。」

私自身、今も心に残るうれしい言葉でした。

結局、この先も競争というものは避けては通れないものですが、名進研での受験生活を通して得た貴重な経験を踏まえて、新たなチャレンジを始めることができればと思います。

親としては今だに解決できていない課題があるので、それと向き合っていくことになりそうです。「どこまで親が手助けして良いものなのか。」これについては今後もいろいろ迷ってしまいそうです。

最後に、中学受験について多大なる御助力を頂きました名進研の先生方に、心より感謝の意を表させて頂きたいと思います。ありがとうございました。

壮絶な親子げんかをこえて

四年生から名進研でお世話になり、晴れて第二志望校でありました金城学院中学校に合格することができました。

この三年間の名進研での受験生活を振り返りこれから合格を目指す、特になかなか成績がふるわずヤキモキされている御父兄の方に少しでも私の経験がお役に立てればと思います。

娘は名進研での四・五年生の時は比較的成績も安定していたのですが、六年生になるとどんどん成績はさがっていき、親子共々つらい日々が始まりました。努力しても一向に成績は上がらず夏休み以降、過去問演習が始まると肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいで、私もテストゼミや名進研プレ中学入試の成績を見ては、ガミガミ小言を言ってしまい、最終的には親子げんかになってしまうという毎日でした。

しかし、十一月頃これでは合格できる力があっても、私の小言のせいで娘をどんどん追い込んでしまい、精神的に追いつめられて合格することができなくなってしまうのではと気づき、所属校の先生に相談しながらとにかく娘にとって必要な勉強を取捨選択しながら取り組ませました。

十二月頃から娘も度々「私、合格できるのかな」と不安な様子をみせるようになったので、私も娘と同じ思いで胃がキリキリと痛む毎日ではありましたが、娘の前では常に明るく平常心で、なるべく娘をほめるようにし「今まで名進研でこれだけ勉強したから大丈夫だよ」と励まし続けました。と、文章にしてしまうときれい事のようになってしまいましたが、壮絶な親子げんかは度々ありましたし、金城学院中学校の入試の前日まで見たいテレビは見るなど、最後の最後まで親をイライラさせました。結果的には第一志望の愛知淑徳中学校には合格できませんでしたが、金城学院中学校に合格することができて私も娘も満足しております。

合格通知を手にした瞬間というのは、本当に本当にうれしい思いでいっぱいです。今までの苦労やつらい日々が一瞬で吹き飛んでしまうくらいの喜びであります。

来年の春、一人でも多くの御父兄にこの思いを味わっていただけるよう願っております。 

「怖いけど楽しい」

名進研に入ったのは五年生の春。それまでは、よくいえばこだわりのない欲のない性格でした。学校のテストで良い点を取ってきても、そのテストがランドセルの奥底でくしゃくしゃになって入っていたり、ノートの取り方も乱雑に書かれていたりする状態でした。しかし、名進研に通ってしばらく経つと、宿題を自発的にするようになり、意欲が見えるようになりました。また、名進研はクラス分けされているので上のクラスに行きたいというようになり、学校や名進研の授業のノートの取り方も見直ししてもわかるぐらいに、きれいに書けるようになりました。

今まで親として気にしていて注意はしていたものの、反発されるだけでしたので、まさに驚きの変化でした。「名進研は夜の学校だ!」と言ってとても楽しんで通っていました。話を聞くと「名進研の宿題をしないと怒られるけど学校よりも楽しい!」そうで、「名進研は怖いけど楽しい」と言わせる先生方のご指導はどんなかんじなんだろう?といつも思っていました。

受験まであと半年のところで、私の母が末期癌と痴呆の合併症で我が家へやってきました。主人は東京へ単身赴任中で、私も仕事をしながらの介護生活のスタートです。受験のサポートどころではありません。しかし、自習室を利用し、私は名進研への送迎とお弁当づくりに徹しました。気持が萎えることも度々ありましたが、名進研の保護者会での先生からの経験談が心の支えとなりました。

受験最終日、試験会場(教室)へ行く直前、娘が「いままでありがとうございました」と言ってくれました。思いもかけぬ一言。涙が止まりませんでした。

名進研は、最後の最後まで第一志望校に入れるように、勉強だけでなく心のサポートもしてくださり、本当に感謝しております。受験当日、受験生よりも早く会場に来て応援をしてくださった先生方、ありがとうございました。先生方の気持ちは子どもにも私たちにも届いています。名進研で培った精神は、今後の宝となるでしょう。娘と今「名進研にはいって本当によかったね」と話しています。

本当に、ありがとうございました。

子どもを成長させた受験

息子は、幸いなことに、愛知中学校、名古屋中学校、愛知工業大学附属中学校、南山中学校男子部から合格をいただきました。ここまでいたる過程はひとかたならぬものがありました。

息子はもともとじっとしているのが苦手で、ふざけるのが大好きな性格でした。いろいろなことを考え合わせて、私立中受験を決めましたが、最初は本人の意欲はあまり強いものではありませんでした。四年生の時は、とにかく、名進研に通い続けること、そして机に向かう習慣をつけることを目標としました。五年生のときは、本人の動機の強さと、課題の量とが必ずしも一致せず、成績も伸び悩み、苦しい時期でした。親子でじっくりと話し合いの時間を持ったこともあります。結果としてこの苦しい時期がよかったのかもしれません。本人の動機や目標がしっかり決まりました。私たち親は、学校説明会や学園祭などに行き、校風を肌で感じ、志望校を具体化していきました。

六年生になると、かなり名進研の課題をこなすことが本人にはきついようでした。しかし、一生懸命やっていたので、たのもしくは感じていました。妻は毎日弁当作りで大変なようでした。夏期講習はあっという間に過ぎました。

受験期となる三学期となると、小学校に行かせるかどうかがかなり迷いました。気持ち的にも落ち着かない時期で、悲観的になったりもしました。とにかく、体調や生活リズムだけはたもって、万全の体調で受験に望めるように心がけました。

おかげさまで、志望校に合格することができました。先生方には親身に相談にのっていただき感謝しています。息子は受験に挑戦することで、人格的にも成長したと思います。苦しい時期であったことは違いありませんが、受験をしなければ経験できないことを、名進研で学べたと思っています。家族も絆も固くなりました。

六キ口以上の荷物を背負い

長男の中学受験についてはずっと考えてはいましたが、四年生、五年生の節目節目に本人、主人と話し合い、その都度スポーツ少年団の野球がしたいから、塾へは行かない、受験はしないという結論でいました。

長男が六年生になる時、一つ下の次男が受験したいと言い出し、名進研に入ることになった時も「僕は受験はしない。」と、言っていました。しかし、その後どういう心境の変化なのか、「名進研に行きたい。受験したい。」と、言い出しました。

今からではとても無理だからと説得しても意志を曲げないため、次男の通う名進研の先生に相談して、名進研に入れていただく事になりました。しかし、今まで塾に行っておらず、名進研を続けられるのかどうかと、とても心配しました。でもそんな親の心配を余所に、六キロ以上の荷物を背負い、片道一時間の距離をバスとJRを乗り継ぎ、名進研に通いました。野球の試合で一日休みましたが、夜遅くまで勉強しながらよく名進研に通ったと思います。

その後、練成教室、入試特訓講座、テストゼミを受講しました。KS4から始めたテストゼミは、十二月にはKS1に上がり、大変な正月特訓も受講し、親が考える通りにはいきませんでしたが、本人はとても努力し、頑張ってくれたと思います。

残念ながら第一志望校には合格できませんでしたが、本人はやりきったという満足感と、第二志望校に合格できた達成感を味わい、努力すること、諦めないことを名進研で学んでくれたと思います。親としてはもう少し早く受験すると言ってくれていたら…という残念な思いはありますが、本当に頑張ったと、心から褒めてあげたいと思います。

名進研で学んだことは

『四校受験・結果全勝!』
まずは、名進研の先生方に心から御礼申し上げます。

「東海中学校」「滝中学校」「鶯谷中学校」「岐東中学校A特待」の合格を頂き、『絶対に名進研の“合格体験記”を書こうね!』と言い続けてきた夢が実現しました。

…第一志望校受験一週間前のまさかの発熱でした。咳もひどく三回程通院。目の前がまっ白でした…。この一週間は学校も名進研も欠席し、ラストスパートの受験勉強はできませんでしたが、自宅でゆっくり“チェス”や“将棋”をして思考力が鈍らないように気を付けていました。

受験当日は、微熱に下がったものの、咳とだるさに戦いながら、持ち前の根性で勝負!してくれた息子です。

たとえ、直前一週間の病気期間があっても、名進研で築き上げた三年間の力というものは、簡単にはくずれないんだ、すごいパワーをつけて頂けたんだと痛感致しました。

四月には大きめの制服を着て滝中学校に通い出す息子は、勉強だけでなく部活も思いきり楽しみたいと希望に満ちています。

“名進研”で学んだことは、受験に向けての学習だけでなく、何に対しても“惜しみない努力”“決してあきらめない根性”こんなすばらしいものも身に付け、名進研でひと回りもふた回りも成長した息子を誇りに思う、今日この頃です…。

娘は、第一志望校の南山中学校女子部に通うことになりました。

我が家の中学受験は娘が四年生の秋、南山中学校女子部の入試説明会から始まりました。新しくて美術館かと思うような素敵な校舎。そして何よりも当時副校長であった先生の心温まる、心に響くお話。娘が多感な思春期をここで過ごす事ができたら、どんなに幸せかと思いました。ここでいい友人に出会い、自分の意志をもちながらも、まわりを気遣う優しい女性に育って欲しいと夢をふくらませました。

名進研へは少し遅い五年生の春の入会でした。当初は宿題が夜12時を回っても終わらず、半泣きになっている娘。入会前まで9時半には寝かせていた娘の生活は一変しました。最初はその姿を見て、可哀想で仕方ありませんでした。しかし娘は、名進研をやめたいとは一度も言いませんでした。むしろ授業が新鮮で楽しいのか、帰ってくると興奮気味に授業の様子を話すのです。その様子を見て、私達は塾を名進研に決めてよかったんだと、正直ほっとしました。

毎回ゼミノートに書かれる先生からのコメントは楽しみで、どんなに励まされ、力となった事かと思います。少しの成績アップも、大袈裟な位に喜んでくださり、どんどん調子に乗ってがんばれた気がいたします。おかげでKS2からスタートしたテストゼミのクラスでしたが、六年生の春には俊秀まで上げることができました。名進研の自習室はよく利用しました。家でやるよりずっとはかどったようです(毎日のお弁当作りと10時の名進研へのお迎えは、辛かったですが)。

南山中学校女子部の試験の日、

娘が名進研にお世話になったのは、六年生からです。それまで、他の塾に通っておりましたが、成績が伸びているという実感を得られず、このままでは…という不安を感じ始めていました。そして、いよいよ新学年が始まる時期ではありましたが、思い切って名進研のドアをたたきました。先生は、親切に話を聞いてくださり、すぐに入会テストを受けさせていただいて、正式に名進研の生徒になりました。

名進研への通塾が始まりましたが、娘は、環境の変化による戸惑いもあり、授業についていくのが精一杯の様子で心配でした。ですが、各教科の先生方も本当に親身に対応してくださり、母親の私にも、何かあったらすぐに名進研に相談してくださいと言っていただいて、心配もすぐに薄らいでいきました。

名進研の雰囲気にも慣れ、勉強ができる環境は整いました。ですが、娘の成績は右肩上がりには伸びず、反対にのテストゼミも黒星の連続で、クラスもTN3からKS2まで下がってしまいました。親も子も希望と自信を失いつつある日々でした。

夏期講習が終わった頃、家族で相談し、自分の偏差値に見合った学校に確実に合格したいとの娘の考えも尊重して、十月のカウンセリングで、最初に目標にしていた学校をあきらめ、冬期講習の受講クラスを下げることを先生にお伝えしました。ですがその時、

感謝の言葉

「六年生最後の授業参観で、親への感謝の言葉を作文にして発表するんだけど、私、名進研の正月特訓のことにしようと思うの。」

「え?正月特訓にいかせてくれてありがとう、お母さん!って…?」

授業参観当日に私は号泣しないよう、前もってどんな内容の作文にするか箇条書きにして教えてくれたのです。娘は第一希望への合格はできませんでしたが、合格をいただいた学校へ向かって気持ちを切り替えている時でした。第一希望校ではなかったため、受験勉強をしていた名進研での三年間を忘れたいかな?と考えていたときに、「お母さんありがとう、名進研の正月特訓に参加させてくれたこと、名進研の送迎やいそがしいのにお弁当を作ってくれたこと、夜遅くまで勉強を見てくれたこと…。」といった内容のメモをこそこそと書いていたから涙が止まりませんでした。

娘は小さいころから新しいことが大の苦手。夏期講習も最後のほうは微熱がつづいたりしたので、秋ごろには正直いいまして入試まで大丈夫かな、と考えておりました。

お正月中の家庭事情のため、そんなに新しいことが苦手で体力的にも不安な娘に名進研の正月特訓の話をするのは勇気がいりました。

作文は「塾の送迎ありがとう」という内容までにしてもらいましたが、授業参観当日、クラスの友達や親たちの前で作文を大きな声で一生懸命読んでくれた時のとを忘れません。

三月になり、四月から通うことになった中学校の制服が届きました。言葉でうまく言い表すことができませんが、なんともいえない幸せな気持ちでいっぱいです。娘と名進研を信じて本当に良かったと思っております。

合格と不合格を受けとめて

ようやく梅の花が咲き始め、我が家にも春が来ました。食事を囲んで一家団欒できる今が、とても新鮮で幸せです。ピリピリした一ヶ月前には、考えられなかったありふれた日常に「感謝」です。

「もう名進研をやめようか。」
五年生の冬期講習後のテストは最悪でした。五年生になる春期講習から名進研に入会してそろそろ一年。本人のヤル気も成果もまるで見られず、名進研を辞めさせようと先生にお電話したのでした。しかし、「ご父兄が決めるのではなく、本人の意志で決めてください。」と諭され、名進研を辞めれば好きなだけ遊べるよと息子にもちかけてみました。が、答えはNOでした。「今迄頑張ってやってきたんだから諦めたくない。」と…。子供にもプライドや想いがあり、親が先走り勝手に見切りをつけてはいけないのだと思い知りました。それから、少しずつ変わっていきました。元々闘争心のない彼に受験する自覚が芽生え、名進研で結果がようやく表われてきたのです。

中学生になったら、口もきいてくれない様になるのだから、この一年間は過保護であろうと心掛けました。睡眠時間や体調、食の栄養に気を遣い、なるべくストレスのない様配慮しました。ゼミノート(解き直し)のチェックや国社の漢字の訂正、記述や過去問の答え合わせ等、常に何をしてあげられるかを考えて、傍に寄り添い応援し、独りにさせない様に気配りしたつもりです。

入試間際になると、子供より親の方が落ち着きを失います。私は名進研の合格体験記をバイブルのように毎日熟読しました。先人の知恵ならぬ、先輩方の苦労や合格への軌跡がとても参考になりました。是非、読んでほしいです。

合格の喜びや不合格の無念さは、受け取った人にしか味わえません。第一志望から不合格通知がきた時は、声も出ないくらいショックでした。本人も愕然としていました。

しかし、息子の前では気丈にしていないと余計落ち込ませると思い、夜中独り涙したこともありました。ところが、子供は現実的で且つ、前向きです。第二志望校に胸を張って通うことを約束した後は、すっかりその気になり、最初からそこが行きたかった学校だったかの様に、春からの中学校生活を楽しみにしています。

結果を丸ごと受け止め、名進研で二年間精一杯やった事を認め、肯定しないことには前途洋々の未来が開けません。これからの六年間は、子供の将来に向けての助走期間です。楽しく有意義に過ごしてくれたら、親として何も言うことはありません。

息子は、名進研に通塾して心も体も一回り大きくなった気がします。勉強は元より、授業態度や精神面においても面倒をみてくださった名進研の先生方、名進研のチューターの方々本当に有り難うございました。息子がお世話になった名進研が、今後増々発展されることを願っております。

「送迎とお弁当作りだけ」

はじめて名進研の合格体験記を手にした時、腹立たしいイライラとした気持ちになった事を思い出しています。それは当時の我家とは正反対、「母親の私がした事は名進研への送り迎えとお弁当を作ることだけ…。」と、何人かの方が書いていらっしゃったからです。

五年生の春から名進研に入り受験勉強を始めた娘は、宿題を一通りやるのが精一杯、それも算数以外の教科は私がノートに宿題の番号を書いて解答欄を作り、丸つけを手伝い、再びまちがい直しの解答欄を作り…と、娘の勉強に母もかかりっ切りというような状態でした。そして娘の質問に上手く教えられず、ケンカになる事もしばしばで、ストレスが溜り切った中、「できるお子さんはいいわね。名進研への送迎とお弁当作りだけ、なんて!」と思ったのです。それでも娘は名進研がとても楽しく大好きで、娘のおしゃべりの「今日ね…。」の内容は学校の事よりも、いつも名進研の事ばかりでした。

娘の努力と共に、六年生の四月頃からは10時まで名進研の自習室(もともと自習室は大好きだったのですが)。母は勉強に一切タッチしない。あの「名進研への送迎とお弁当作りだけ」という当初の我家からは、想像できない生活に変わっていました。ほんとうに極々僅かずつですが、入試直前まで成績が上がり、誰にも負けない努力ができたと自信になったようです。二年間に使用したノートは、百五十冊を超えました。

春から愛知淑徳中学校に通うこととなりました。

第一志望校は残念な結果でしたが、この二年間娘が名進研で頑張り通せたのは、名進研が楽しい、名進研が大好きという気持ちがあったから、娘をそのような気持ちにさせてくださった素晴しい名進研の先生方のおかげと、心より感謝しております。

そしてもう一つ。毎回の名進研の保護者会は私にとってよく効く精神安定剤だった事をご報告申し上げます。 

俺には落ちる理由がない!

穏やかな春を迎え、我が家の私立中学受験も無事第一志望校合格で締めることができました。

約三年間、名進研にお世話になりましたが、実は、本当にお世話になったのは母親の私かもしれません。志望校を東海中学校と決めたにもかかわらず、なかなか本腰を入れない息子に不安を覚え、『今回のテストゼミ自信ない』と言われてまた不安になり、『大丈夫なのか、やはり名進研生のお友達がそうしているように自習室に残った方がいいのでは?』『少しでも時間があるなら○○をしたら?』などつい口うるさくなってしまい、その度に息子に『オレを信じてないのか!』と叱られ、それでも合格が約束されているわけではないと、まだ不安を捨てきれなかった私。六年生ともなると、皆本腰を入れてきます。名進研プレ中学入試になるとまだ緊張するのかケアレスミスを繰り返し、ある時『算数が四十点台だと思う』と言われ、がく然とし、すぐに名進研の先生に電話を入れました。

先生に、『算数が…どうしよう…』と言っているうちに、今まで胸にたまっていた不安が口をついて出てきてしまいました。『うちの子は、いつまでたっても自習室に残らない。他の名進研の子は皆本当に前向きに頑張っているように見えて、うらやましくて仕方ないのです』と。思い出すと恥ずかしいのですが、この時は本当に不安が頂点に達していて、オイオイ泣きながら先生に不安をぶつけてしまいました。そして、そんな私に対して先生はいちいちうなずいてくださり、一言一言に丁寧に答えてくださり、私が落ち着くまでもずっと電話を切らずにいてくださいました。

この日を境に、私は本当に前を向いて、息子を信じることができるようになったのです。フタを開けてみれば、この時の算数も平均を超えており、ミスをなくしていくことで充分対応可能なものでした。何が不安だったのか、冷静になって考えてみると、それは落ちることの不安、だったのかと思います。息子はテストゼミでは俊秀クラスでした。しかし俊秀というクラスは毎回平均三百二十点以上、一問間違えると順位にも大きくひびく…というクラス。苦手単元の時は本当にヒヤヒヤもの、加えて名進研プレ中学入試でのケアレスミスの多発…。どんなにテストゼミでのクラスが良くても、名進研プレ中学入試で点が取れなくては本番に弱いのと同じ事ではないのか…。入試当日だったら…。そんな余計な不安が積み重なったのでした。

しかし、六年生の冬期講習を機に、息子にようやくスイッチが入りました。口うるさい私から離れての正月特訓、見事に一人で頑張り、自信をつけて帰って来ました。入試まで半月を切る頃には、息子のまわりにオーラが見えるような気がする程集中していました。もう口を出す必要は全くありませんでした。『俺には落ちる理由がない!』入試の度そう言っていた名進研生の息子、言葉通り、受験校全てに合格しました。名進研生の息子はもちろん、私の不安も丸ごと受け止め、結果、合格に導いてくださった、あの時の名進研の先生の暖かい対応には本当に感謝しています。ありがとうございました。

今年の桜は綺麗に見えます

三年生の冬休みから名進研にお世話になり涙あり喜びありの三年間でした。

息子は名進研で勉強し、四月から東海中学校生になります。今年の桜は綺麗に見えるだろうなぁと思ってます。

名進研での三年間を振り返り思えば、毎日必死に過ごしておりました。
反抗期も重なり受験のストレスもピークになった六年生の冬休み、無事に名進研正月特訓から帰ってきて一回り大きく成長した姿を見た時には嬉し涙が出てきました。思い起こせば本当に色々な事がありました。言いつくせない様々な場面が頭に浮び今でも涙が出そうになります。

息子はゲーム、マンガ、外でも活発に遊ぶごく普通(本当は、やんちゃ坊主)の子供です。面倒な事を何より嫌がる息子にとって「四教科で済む」だけの動機だったゆえに、最初はワクワクしながら名進研生活が始まりました。名進研での成績も四年生五年生の内は、JSクラスの最前列から一度も変わらないので周りの名進研生からは、「○○君、いつも安定してすごいね」なんて言われてましたが、親からすれば何が何が、と言う感じでした。

まず字は六年生になっても小学一年生並みですし、漢字もメチャメチャ「オレは細かい事を気にしたくない」のありさま。算数は答えを何処に書いたのかわからなくなる程。それなのでテストゼミや名進研実力テストなどで何点も失点しまくり、又くり返すの連続でした。これではダメだと思いリビングで息子の横に座り「違うよ!!」と注意したり、算数はテキストの基本問題からテキストの発展問題まで一問ずつやらせて、その都度テキストを見て○や×を私が付けました。

けれど私がいつも言っていたのは、

名進研マジック

雪の降る中、第一志望校へ向かった。
十二年前、娘を出産した日も雪が降っていた。

「最後の最後まであきらめず、えんぴつを動かしなさい。必ず受かる」と送り出した。よく今日までがんばってこられた。万全の体調で臨む事が出来てよかった。ホッとしたのと同時に目頭が熱くなり名進研生の娘の後姿が涙でかすんだ。控え室の講堂ではただひたすら祈りつづけた。試験が終わり帰ってきた娘の顔には、やり遂げた満足感と戦い抜いた鋭い目があった。私は、溢れ出る涙をこらえ声にならぬ声で言った。

「…よく…がんばったね…」と。

こんな所で浸っている場合ではない。次は面接だ。気持ちを切り替えて二人で軽食をとり、身支度をした。面接の打ち合わせをして、まだ時間があったのでコアラのマーチ(木から落ちない)を食べ、娘を和ませた。娘に一瞬、笑顔が戻った。面接試験での物怖じしない受け答えに、三年間の名進研での受験勉強を通して彼女なりの受験観を培ってきたのだ、と思った。そしてすべてをやり遂げた安堵感からまたまた涙が溢れた。

時計の針を戻せば、まだ幼なさの残る三年生の三月。名進研のテキストをベランダヘ放り投げ、床にひっくり返り、泣きながら拒絶反応する娘。初めての名進研実力テストの答案用紙にはあ然とした。自分の名前(漢字)さえも間違えている。偏差値29で当然ながら名進研の所属校最下位。「頭をかかえる」とはまさにこういう状況の事だ。しかってやる気になる子などいない。と自分に言い聞かせ、名進研生の娘が少しでもやる気になるよう考え、模索する日々…。そんな娘も夏休み頃には「名進研での勉強」というものに抵抗する事なく机に向かえるようになった。個性豊かな名進研の先生方の授業が楽しくて仕方がない様子だった。名進研マジックにかかったのだ。

それからの彼女は、一度も弱音を吐く事も、名進研をやめたいと言った事もない。よく最後まで続けてこられたと我が子ながら誇りに思う。中学受験…それはあまりに過酷な親子の戦いだ。戦いに勝った者のみが合格を手中に収める事ができる。深く強い母の愛がなければ成し遂げられないだろう。私達親子はどんな状況になっても、どんなに名進研で成績が悪くても決してあきらめはしなかった。そして私は「この子は合格する子だ」と信じて疑わなかった。

四月一日、彼女は伝統の制服に身を包み金城学院中学校へ入学します。

最後に「お母様の気の済むまで僕は何時間でも話しを聞きます!!」とおっしゃってくださり、それを実行してくださった名進研の先生。県外入試の日は、娘一人の為に高速をとばしてかけつけてくださいましたよね。本当に本当にありがとうございました。

「もっと難しい問題がやりたい!」
これが物心ついた時からの息子の口ぐせでした。添削教材の発展問題にも満足できなくなった子どもに、もっと意欲的に取り組める勉強を提供していただける環境を、と思い立ち、三年生の二月から親子で塾探しを始めました。

インターネットで偶然見つけた名進研の最寄の校舎での説明会に参加し、そこで「この名進研の先生になら息子をお願いできる!」と確信した名進研の先生と運命的な出会いをし、息子は、「東海中学校に行く!!」と言って、中学受験への道のりを歩み始めました。

受験終了までの三年間、彼は名進研の所属校ではほぼ前列の席をキープし、五年生のテストゼミでもTN1クラス、六年生の名進研でのクラスは俊秀を維持し、毎月のテストでも名進研成績優秀者に大体名を連ねるといった、他の方々から見れば『順風満帆』な名進研生活であったように思われますが、本人にとっては、山あり、谷ありの連続でした。

名進研とは

愛知県・岐阜県の中学受験・高校受験・大学受験の進学塾です。受験生を応援するページを立ち上げました。このブログで卒業生たちの熱い応援メッセージを届けていきます。

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